高校3年生の時、母が亡くなった時僕は泣けませんでした。
今回は超絶自分語りの記事になってしまいますので、そういったものが嫌いな方には読まないことをお勧めします。
自分が高校3年生の時、今から約4年前に母親が亡くなりました。原因は乳がんでした。
実際母が最初に乳がんにかかったのは亡くなる約10年前、自分が7歳か8歳くらいの頃でした。
初め母が乳がんになった。ということを聞いた時の記憶はほとんどありません。
ただ母が病院のベッドで寝ていた記憶だけがうっすらと残っています。
そこから母は乳がんの治療をはじめ、腫瘍の摘出なども行い1度は完治したと思いました。しかしそこからがんが転移していたことが分かり、また闘病生活が始まりました。
しかし、母も長年ガンの痛みや辛さに耐えていたのですが、初めに乳がんが見つかってから約10年後に亡くなりました。
母が亡くなった時、病室には父と兄と親戚など、合わせて約10人ほどがいました。
その時父も兄も親戚も泣いていたのですが、自分は泣けませんでした。
母のことは大好きでした。優しく面倒見の良い母でなにかあったらすぐに助けてくれる。そんな頼れる理想の母親でした。
だからこそ、そんな母が亡くなるわけがないと思っていました。頭では分かっていたつもりなのですが、まだその状況をうまくのみこめていませんでした・
母が亡くなり、悲しい気持ちであふれているはずなのに自分はそれからもまったく泣けませんでした。むしろ落ち込んでいる父や兄を元気づけるためにも、明るく振舞おうとしていました。
その後、お通夜を終え葬儀を行い、最後に母が霊柩車に乗せられる時です。
これが母の顔を見れる最後の瞬間だと言われたときに、初めて泣きました。
その時まで母が亡くなったことをまだ心の底から信じきれていなかったのだと思います。その瞬間にその時まで流れなかった涙がこれでもかというほど出てきました。
そして母が亡くなって4年以上の歳月が経ちました。
自分は母が亡くなってからは母が言ってくれたいくつかの言葉を信じて生きています。
「やらずに後悔するくらいならやって後悔しなさい」
これが1番意識している事です。
どんな物事もやる前からなにしら理由をつけてやらないのではなく、やってからどうするか決めることにしました。これによって自分がこれまでやってこなかった事や恐れてやっていなかった事もやるようになり、多くの経験値が詰めたと思います。
このブログもその言葉を信じて始めました。文字を書いたりすることは得意ではないのですが、書いていて結構楽しいため、やっぱりやってよかったなあと思っています笑
皆さんの中にも、両親や家族、親戚、友人、ペットなど、大切な人が亡くなり立ち直れないという人がいるかもしれません。
しかし、そんな時こそその人のことを思い出しましょう。
その人が落ち込んでいる自分をみて喜ぶことはないと思います。
その人のためにも前を向いて、1歩でも前へ進みましょう。
そして、困難があってもその人が後押ししてくれていることを信じて、諦めずにチャレンジし続けましょう。
今回はこんな自分語りばかりの記事を書いてしまい申し訳ないです。
しかし、大切な人が亡くなり辛い人や、立ち直れないという人の支えにすこしでもなれたら幸いです。
ありがとうございました。